diary

かきたいことを、かきたいときだけ、かきたいように

一生とか永遠とかずっととか

 

 

 

親友に子供ができた。

 

 

 

こんな世の中で素敵なニュースだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は彼女が好きだった。

尊敬してた。

憧れてた。

もちろん今もだ。

 

 

 

でも成長するにつれて女は変わる。

結婚や妊娠をし、仕事でキャリアを積み、知らないうちにマウントを取りながら、自分を肯定し生きていく。

 

箸が転がるだけで笑いが止まらなくなった帰り道も、今はもう夢のようだ。

今の私達が話すことと言ったら、旦那、家、車、子供、お金、生活。

あの頃の私達が聞いたら、どんな顔をするだろうか。

そんなの面白くない、つまらないと言われてしまうだろうか。

 

生活水準も幸せな基準も人それぞれで、私と彼女は理解し合えない。

共感で支え合ってきたのに、今はお互いの求めるものに嫌悪感すら抱いてる。

 

 

彼女の妊娠報告も嬉しかった。

でも彼女は私に報告をする事を躊躇していた。

私がそうさせたのだ。

彼女との間の溝が深まる。

どんどん、深まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時に三浦春馬さんの報道を見た。

 

城田優さんのキセキを歌う姿を見た。

 

 

 

自分でも驚くほど泣いてしまった。

特別好きな俳優さんではなかったが、すごく悲しかった。

 

そして彼女を思い出した。

彼女に会いたくなった。

(…かわりに隣の旦那にいなくならないでと泣きついた笑)

 

私と彼女はお互いが死んだら後を追う約束をしている。

馬鹿げているが、そのぐらい彼女のいない世界を生きていける気がしない。

 

側にいなくても、話をすぐに聞いてもらえなくても、共感してもらえなくても、

私は彼女の存在自体が支えなのだ。

 

 

すぐに彼女にYouTubeを見るように連絡をした。

彼女は電車の中で泣いたと言った。

死ぬなよ、お互い言い合った。

私たちは変わって、大人になったけれど、大切にし合っていると実感してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旦那が給料良くても

土地を持ってるお坊ちゃんでも

子供がいてもいなくても

車があってもなくても

都内に家を買っても買わなくても

変わらないでいることもある。

 

 

 

 

私は一生を連想させる言葉が大嫌いだ。

トラウマもあるし、誰でも信じることは容易ではないだろう。

ただ一つだけ私の中に永遠が約束されたのは、彼女が私の大切な人で、彼女も私を大切と思ってくれてること。

初めて自信を持って「ずっと」と言えるだろう。

私はずっと彼女の味方だ。

これからも一生。

 

 

いつかまたあの道を、あの歌を歌いながら

泣いたり笑ったりして

歩けたらいいな。